「寒い……」
「寒いね……」

寒風吹きすさむ11月も終わろうとしているこの頃。
僕は相変わらず小毬さんが待つ屋上に通い続けていて、今日もまた午後のおやつタイムを満喫していたのだが、そろそろ寒さが厳しくなってきたので屋上に出られるのもあと僅かの間だけになるだろう。

「やっぱり寒い……」
「そうだね……」

本当に寒い。今日は特に冷え込んでいて、天気予報によるとこの冬一番の寒さらしい。
そんな日にどうして僕らがわざわざ屋上に留まっているかというと、それは語るも涙ののっぴきならない事情があったのだった。

事件の始まりはつい数十分前。
マットを敷いて小毬さんと談笑しながらお菓子を味わっていたところ、入り口の方から突然聞こえてきた騒がしい音。何事かと隠れてこっそり様子を伺ってみると、何やら多勢の人がやってきて窓の前の踊り場に机や椅子を運び込んで積み上げているらしい。
もちろん僕らが屋上にいることがばれてはいけないのでその間中は声を潜めてじっとしていたものの、なかなか終わらない中の様子にやきもきさせられながらずっと待っていたのだった。

音が一段落して、ようやく静けさが取り戻ってきた頃。
もう人もいないだろうと出口を覗きに行ってみるが、そこには天井まで山と積みあがった机と椅子の山が窓の向こうにそびえ立っている。
「どう? 出られそう?」
「ちょっと難しいかな……下手に出て行くと崩れて潰されそうだ」
どうも積み方が下手だったのか、不安定で今にも崩れそうな予感がする。
無理やり出ようとしても、あの隙間を通り抜けられるほど僕は小柄じゃない。ここからは先の様子が分からないので、今は動きようがないのだった。

「うーん……よおーし、次は私がいこーう」
「気をつけてね、小毬さん」
何故か楽しそうに意気揚々と窓に向かう小毬さんを見て僕は一抹の不安を覚えたものの、とりあえずこの場は小毬さんに任せてみることにしよう。
もしかしたら、小毬さんの体格ならば机の隙間を通り抜けられるかもしれないし。

「理樹くん、ちょっと向こう見ていてくれないかな……見えちゃうから」
「あ、ごめん!」
慌てて窓の方から目を背ける。
後ろからとりゃー、おんどりゃーといった掛け声が聞こえてくるけれど、すぐにその勇ましい声は止んで代わりにふんっ、ふんっ、という荒い息遣いが伝わってくる。
……一体何をしているんだろうか。やっぱり心配になってくる。
「小毬さん、どうしたの?」
「あれれ? もしかして私、動けないかも?」
動けないだって?小毬さんに何かあったのかな?
「大丈夫? そっちに行ってもいいかな?」
「お願い、あ、いや、駄目です、あ、でも、出られないし、ふええええ……」
何故か慌てた様子で僕の助けを拒む小毬さん。
いったい何があったんだろう。もしかして、何か危ない状況になってしまったのか?
さっきの不安が再び頭をよぎり、状況を確かめようとして振り向いてみると、そこにあったのは……

「お尻だ……」
どうやら身体が向こうで引っかかってしまったらしい。
僕の目に映っていたのは、完全にスカートがめくれてパンツが丸出しになったまま窓に上半身を突っ込んで、動けなくなっている小毬さんの姿だった。
しかも、しかも、子供っぽい小毬さんのイメージとは正反対な、真っ黒で際どいデザインのパンツで。
「え、嘘? 理樹くん、もしかして見ちゃってる?」
「うん、ごめん……」
小毬さんが助けを拒んでいた理由はこれか。さすがにパンツ丸出しのところを見られて助けてもらうなんて恥ずかしすぎるだろうし。
「あーん、理樹くんに見られた〜」
きっと窓の向こうで小毬さんはまたいつもの涙目になっているんだろう。
かわいそうになってきたので、僕はそっと小毬さんのスカートを戻してパンツを隠してあげた。
……いや、さすがにあの黒パンツを出しっぱなしなのは僕にとっても目のやりどころに困るし。

「小毬さん、そっちはどう? 出られそう?」
「駄目〜、動けないよぉ〜、引っ張ってぇ〜」
小毬さんは無理やり狭い隙間を通ろうとして、変な体勢になりどこかに引っかかって動けなくなってしまったらしい。
仕方なく、僕は小毬さんの腰を抱えて思いっきり力を入れて引っ張り出そうとする。
小毬さんも腕を引き抜くのに難儀したものの、最後にはようやく引き抜くことに成功して、救出したときにはこの季節にもかかわらず二人ともすっかり汗だくになってしまっていたのだった。

「やっと、助かったよお〜」
心底安心したような声でほっと息をつく小毬さん。
でも、僕の頭の中からはさっきの黒パンツの情景が消えてくれず、どうしても小毬さんを見るたびにドキドキしてしまって顔をあわせるのがどうにも気恥ずかしかったのだった。

「あっ、そういえば、さっきの……見ちゃったよね、理樹くん……?」
ちょうど黒パンツのことを考えていた最中にそのことを問い詰められ、僕は不覚にも動揺してしまう。多分、僕の顔も真っ赤になっているはずだ。
「いや、あれは小毬さんのパンツが小毬さんらしくなかったっていうか、その……」
ああ、僕は何でこんなことを言っているんだ。余計に泥沼じゃないか。
「ちち、違うの、あのね、あれは違うの、その、ゆいちゃんがね、勝負するときには、って、いや〜、違うの〜」
また一人で慌てて、僕と同様に支離滅裂な言い訳を繰り返す小毬さん。勝負ってもしかして、勝負下着……?
「よおしっ、こういう時は……」
あ、この言い方はまたいつものあれかな。
「見なかったことにしよう、見られなかったことにしよう、おっけー?」
「お、おっけー……」
この変な空気を収めるため、小毬さんの決まり文句にとりあえず頷いておく。
でも、ごめんなさい、小毬さん。僕は嘘をつきました。
あの黒パンツは僕にとってあまりに刺激的で、とても見なかったことにはできませんでした。


さっきから何度も強い風が吹き寄せてきて砂埃が舞い上がり、スナック菓子の袋に入って中身はもう台無しになっている。
先ほどの運動で温まった身体もまた冷えてきて、汗をかいたせいで余計に寒くなってきた。
空を見上げると、もう日も沈もうとしてきて夕焼けに染まってきているし、どんどん気温も下がってさっきよりも風が強くなってきたようだった。

「ううっ、寒いよお……」
「携帯で鈴に助けを呼ぼうか?」
「うん、お願い理樹くん。私、携帯は教室に置いてきちゃって……」
携帯を置いてきちゃったのか。さすがは小毬さんのドジっ子スキル全開といったところ。
とにかく鈴に連絡を取ろうと携帯を開くけれど、そこに映っていたのは無情な警告メッセージ。
「どうしよう、僕のもバッテリー切れだ……」
「えええっー!」

……本当にどうすればいいんだろう。
柵から体を乗り出して助けを呼ぼうとしても、この薄暗い空では下から僕らの姿は見えないと思う。
声を上げて助けを求めれば気付いてくれるかもしれないが、できることならば知り合い以外には誰にも発見されずにこっそりここを抜け出したい。もし先生に見つかったりすると、もう屋上に入れなくなってしまうかもしれないし。
「ねえ、理樹くん、これは使えないかな?」
小毬さんが避難用の梯子を指差す。
「うーん、もう暗くなってきたから危険だし、誰かに見られるかもしれないよ。先に他の脱出方法を考えよう」
踏み外して落っこちたりしたら一大事だ。それに、口には出さなかったけれど小毬さんがあの梯子を使ったら絶対に何か危ない事件が起こってしまう気がするし。
そんなこんなで色々と屋上を見て回ったけれど、結局脱出できそうなものは一切見つからなかったのだった。

「はああ……」
僕らは途方にくれてしまい、座り込んでため息をつくばかり。
やっぱり外に向かって大声で助けを呼ぶべきなんだろうか。
「やっぱり寒いなあ……理樹くん、あのね、くっ付いていていいかな?」
「うん、いいよ……」
二人で身を寄せ合って寒さをしのぐ僕たち。
こんなにどうしようもない状況でも、隣にいる小毬さんの息遣いを感じているうちに、僕がしっかりしないといけないという気持ちになってくる。
それに、小毬さんの身体の温かさと自分の心臓の高鳴りのおかげで寒さも感じなくなってきた気がするのだから。

「ごめんね、理樹くん。もしかしたら……ううん、本当は全部私のせいだったの」
「そんなことないよ、出口が塞がれたのは偶然だったんだし」
「ううん、違うの、私のせいなの……おまじないのせいなの……」
おまじない?一体それが何で小毬さんのせいになるんだろう。
小毬さんの説明によると、とある場所で手に入れたおまじないの本に載っていた『屋上に二人きりで閉じ込められるおまじない』というものを試したらしい。
いくらなんでも、そんなピンポイントなおまじないってありえないと思うけれど……
なんでもこのおまじないには解除法があるらしく、小毬さんは今からそれを試してみたいとのこと。
「小毬さん、本気でそんな解除法をやるつもりなの?」
「うん、だって現に私たち屋上に閉じ込められてるじゃない!」
「だからって、そんな……」
よく言えば純粋、悪く言えば騙されやすい小毬さんのことだ。今回のこともきっとこの怪しげなおまじないが原因なんだと信じ込んでしまっているらしい。
仕方ないなあ。とにかくそれで気が済むのならば、一度だけ小毬さんのやりたいようにさせてあげることにしよう。

「理樹くん、絶対にこっち向いちゃだめだよっ!」
「え? 突然どうしたの?」
「どうしてもなのっ!」
訳が分からないまま、小毬さんの強い口調に押し切られて後ろを向く。
小毬さんの解除法とやらは、そんなに僕に見られたくないものなんだろうか?

「うんっ、よおしっ……!」
後ろから聞こえてくる小毬さんの掛け声。
しばらく後ろを向いていても何も起こらなかったので、やっぱり無駄なんだろうな……と思っていた頃に、階段のほうからガタガタと音がしてきて、そこから出てきたのはまさに救いの神様。
「こまりちゃん、だいじょうぶか!」
この声は、鈴?
やった、助かったんだ、と嬉しさのあまり声のした方向に振り返って……そこで僕らは凍り固まった。
窓から身を乗り出してこちらを見ている鈴。屋上の真ん中で、鈴に向かって振り返る僕。
そしてその真ん中には、パンツを膝まで下げてスカートをまくり、お尻を丸出しにしている小毬さんの姿があったのである。
……小毬さんはあんな格好で、何をしようとしていたんだろうか?

そこに吹いた激しい風。衝撃的な映像を前にして固まってしまっている僕たちの脇を突風が通り過ぎていく。
そして、そこで見たのは強風でスカートが完全にめくれ、その下には何も『はいてない』小毬さんだったのである。

「……あたし帰る」
「ふええぇぇっ、りんちゃん、まってぇぇ……」
小毬さんは窓からさっさと帰ろうとする鈴を追おうとするものの、パンツを膝に残したまま危なっかしい足取りで、ビリッという小さな音ともに転んで倒れこんでしまう。
……お尻丸出しの状態で。

「小毬さん、鈴を追いかける前にまずパンツをはいたほうがよかったと思うんだけど」
「あーん、理樹くんとりんちゃんに全部見られた〜、しかも私のぱんつ破れちゃったよぉぉ……」
ああ、合掌。なんてお約束な人なんだろう。

「ううう……もうお嫁にいけないよお……」
「あ、でも、一瞬しか見えなかったし、そんなに覚えてないからさ」
嘘だけど。本当はさっきの光景がしっかり目に焼きついている。心臓だってドキドキしっぱなしだ。
「本当……?」
「うん、だから大丈夫だよ、小毬さん」
「そっか、それじゃあね……」
そうだね、ここはいつものあの台詞だよね。
「見なかったことにしよう、見られなかったことにしよう」
「おっけー……」
小毬さんのためにとりあえず頷いておいたけれど、またもや僕は嘘をついてしまいました。
本当にごめんなさい、小毬さん。さっきの黒パンツの光景がやっと頭から離れてくれそうです。
だって、それ以上に忘れられないようなものを僕は目にしてしまったのだから。

「あ〜、理樹くん、ニヤニヤしてる! やっぱり恥ずかしいよお〜……」
「いやいやいや……」
さすがにこれ以上僕と顔をあわせているのは恥ずかしさの限界みたいだ。
ここは当分一人にしてあげたほうがいいだろうなと思い、僕は顔を真っ赤にしている小毬さんを屋上に残したまま、鈴の通ってきた隙間を通り抜けて屋上を後にすることにしたのだった。
あ、それから鈴の誤解もちゃんと解いておかないと。


「理樹君、ちょっといいかな?」
寮に戻ろうとした帰り道。いきなり後ろから呼び止められて、来ヶ谷さんに肩をつかまれる。
「来ヶ谷さん、どうしたの? って、痛い痛い痛い、引っ張らないで!」
「いいから少年はこっちに来るがいい、ゆっくり話し合おう」
来ヶ谷さんに引っ張られて、そのまま空き教室に連行される。
いきなり僕をこんなところに連れ込むなんて、来ヶ谷さんは何をするつもりなんだ?

「さて、本題に入ろうか」
「来ヶ谷さん、なんだか怖いんだけど……」
今にも襲われそうで身の危険を感じる。さしずめ僕は蛇に睨まれた蛙のような心境だ

「鈴君が不機嫌そうにしていたから何があったか聞いてみると、『こまりちゃんがぱんつを下ろしてお尻を出して理樹と一緒に立っていた』というらしいじゃないか。理樹君もなかなか手が早いな、小毬君が勝負下着をはき始めてすぐにそこまで進展するだなんて」
ああ、早速噂が伝わったのか。頭が痛いなあ、一番聞かれたくない人に噂が伝わってしまっただなんて。
誤解を解こうにも、僕だって何で小毬さんがあんなことをしたのか分からないのだし説明のしようがない。
返答に詰まって上手く答えられない僕を見て、ここぞとばかりに僕をからかおうとするオーラを発していたのだった。
とにかく何か言わないと、なし崩し的に僕が小毬さんとそういう関係なんだと決め付けられてしまう。
でも、そういえば小毬さんもさっき、あの黒パンツはゆいちゃんがどうこうとか言っていたような……

「さっき勝負下着って言ったよね? じゃあ、やっぱり小毬さんのあのパンツは来ヶ谷さんの差し金だったんだ……」
「む、差し金とは人聞きが悪いな。私はただ小毬君の後押しをほんのちょっとしてあげただけだぞ、そう、ほんのちょっとだけな……」
そう言ってにやりと笑みを浮かべる。ああ、その顔は絶対に僕をからかって楽しんでいる。
「そういう質問が出たってことは、理樹君は小毬君のパンツを見て、しかもそれが勝負下着であると認識しているんだな? そのことに関してもよーく聞かせてもらいたいものだ」
ううっ、藪蛇だった! 余計なことを言ってしまったせいで、また悪い方向に誤解が広がってしまったらしい。
「そうだな、皆も呼んでじっくりこの件について聞かせてもらおうじゃないか」
「やめて、お願いだからそれだけは許してよ!」
他のみんなまで呼ばれてはたまらない。特に葉留佳さんは口が軽いから、面白おかしく噂を広められてしまうかもしれないし。
「ああ、それなら心配ない。もう呼んであるからそのうち来るんじゃないかな」
そんな……ああ、僕はもう、死刑判決を待つだけの魔女裁判の被告人のような気分だよ……

その後は何を答えたのかよく覚えていない。ただ、来ヶ谷さんの刑事顔負けの過酷で容赦ない取調べと葉留佳さんの無責任な軽口、西園さんの誤解を助長するような突っ込みや、クドの悲しそうな視線だけがトラウマのように僕の心に残ってしまっていた。
そして鈴にいたっては、誤解が解けるまで一言も口をきいてくれなかった。最後には「こまりちゃんなら許す」と言われてようやく仲直りできたけれど、あの言い方ではまだ誤解しているような気がするなあ。


ちなみに後で聞いた話によると、あのおまじないの解除法はお尻を出した状態で「ノロイナンテヘノヘノカッパ」と心の中で三回唱えることだったらしい。
それにしても、こんなおかしなおまじないを信じ込む小毬さんもいかがなものかと思うのだけど。
もちろん僕はおまじないなんて信じていない。でも、放っておくと小毬さんはまたおまじないを真に受けて別の事件を起こしそうな気がする。
あんな騒ぎは屋上の件でもうすっかり懲り懲りなのに。

「よおしっ、次はこの『体育倉庫に二人きりで閉じ込められるおまじない』を試してみようっ!」
「やめて小毬さん、もうこの本は禁止だから!」
騒がしい日がまた続く予感がする。今日も相変わらず、僕の苦労は尽きないようだった。


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