「理樹、いっしょに帰ろう」
放課後になって、いつものように僕を誘ってくる鈴。
普段ならば寮までの短い帰途を並んで歩いて帰るところだけど、今日はどうしても外せない用事があるのだった。
「ごめん、鈴、今日はちょっとやることがあるから先に帰っててくれないかな?」
僕は極めて平静を装って誘いを断る。怪しいところはないだろうか、鈴に気付かれることはないだろうか?
「なんだか怪しいな……もしかして浮気か?」
「そ、そんなことあるわけないってば!」
「まあいい、理樹がそう言うならば先に帰ってるぞ」
鈴はどうにも釈然としていない様子らしかったけれど、それ以上は深く詮索することもなく引き下がってくれたのだった。

ふー、びっくりした。
僕の演技が下手だったのか、鈴の勘が鋭かったのかは分からないけれど、ちょっと後ろめたいことがあるだけでここまで動揺してしまうだなんて。
鈴が言った浮気、という勘繰りもあながち的外れではない。
なにせ今から僕は、他の女の子から告白を受けるのかもしれないのだから。

事の発端は昼休みのこと。一人で廊下を歩いていたところ、突然面識の無い女子が僕を呼び止めて、短く要件を告げていったのだった。
「あの、直枝先輩、大事な話があるので放課後に体育館の裏に来てもらえませんか……?」
それだけを伝えると、一目散に走り去ってしまった彼女。
突然のことにそのときは理解が追いついていなかったが、後で冷静になってあの時の様子を思い出してみると、ある一つの考えに思い当たる。
大事な話、しかも体育館の裏でする話。この条件で思い当たる内容といえば、定番なのはやはり愛の告白だろうか。
もしかしたら悪戯なのかもしれないが、さっきのいかにも大人しそうな彼女の風采を見るととてもそんなことをするような子とは思えない。もし彼女が本気で想いを伝えようとしているのならば、それこそ行かないと失礼だろう。
仮にその場合でも既にNOという返事は決まっているのだけれど、やはり気が重いなあ……


「あ、あの、直枝先輩、来てくれてありがとうございます……」
約束の場所で僕を待っていたのは昼間の地味そうな少女。さっきは見過ごしていたが、胸元のリボンの色からするとどうやら下級生のようだ。
どうやら彼女は緊張してガチガチになっているようで、その様子がこちらからもありありと見て取れる。そのせいでそれにつられて僕まで固くなってしまい、なかなか話しかける内容が思いつかない。
「あ、あの……」
「は、はいっ!」
どうにも会話がぎこちない。こういうときはまず何から話しかければいいんだろう。
「それにしても、よく僕の名前が分かったね」
「先輩たちは、1年の間でも有名ですから……」
まあ、あれだけ真人や恭介が騒ぎを起こしていればいつも一緒にいる僕まで有名になるのは当然かもしれない。
って、何で僕はこんな世間話をしているんだ? 彼女の「大事な話」を聞きにこの場に来たんじゃなかったのか?

「それで、昼に言ってた大事な話ってのは……?」
「あの、それなんですが、私……」
そう言うと、一旦深呼吸をして、気合を入れるかのような仕草をする彼女。
「今年に入学してから先輩たちを見ていて、その、ずっと先輩のことを見ているうちにいつの間にか……好きになってしまったんです」
ああ、やっぱりそういうことか。その気持ちは嬉しいのだけれど、もう僕には鈴という相手がいる。
目の前の純真そうな少女をどうやって傷つけないように断るかが問題だ。こういう時は、いったいどんな言葉をかけてあげればいいのだろう。
こんな経験は初めてなので、何を言えばいいのか分からなくて頭の中が真っ白になってしまう。恭介や謙吾だったら、上手い断り方もできるのだろうけど……
「それで、この手紙に私の気持ちを込めて書きましたので、その……」
「うん、それなんだけどね……」
どうしよう。たとえ断るつもりでも、一度は手紙を読んでから断るべきなんだろうか。
それとも最初からその気がなければ読まずに拒絶したほうがいいのだろうか。
彼女が差し出した手紙を受け取るかどうか迷っていた僕に対し、次に彼女が発した言葉はあっけないものだった。
「……それで、宮沢先輩にこの手紙を渡してもらえないでしょうか」
「…………え?」
宮沢先輩って……ああ、謙吾のことか。
ということは、つまりこの子が好きなのは、僕じゃなくて謙吾ってことなのか?
ああ、そうだよね。謙吾って、もてるからね……
「ははは……そっか……」
はあ、恥ずかしい。謙吾へのラブレターを自分宛のものだと勘違いしてしまうなんて。
「あの、直枝先輩、お願いします!」
「あ、うん、分かったよ、ちゃんと渡しておくからさ」
勝手な思い込みで舞い上がってしまった自分に呆れつつ、僕は苦笑しながら彼女の手紙を受け取ったのだった。


立ち去っていく彼女の後姿を見ながら一人考える。
冷静になって思い返せば僕より謙吾の方がもてるのは分かりきっているし、今までもこんなことは何度かあったというのにどうして僕はこんな自惚れをしてしまったんだろう。
鈴と付き合い始めたことで、僕もこの手の感情に機敏になってしまったのだろうか。
そんな情けない気分で寮に戻ろうとしたところ、近くの茂みからぬぉー、ぬぉーという奇怪な音が聞こえてくる。
この特徴的な怪音は、もしかして……ドルジの鳴き声だろうか?
気になって音の聞こえた方向に耳をすませてみると、今度は別の声が聞こえてくる。
「やめろドルジ、あたしに乗るな、つぶれるだろ!」
この声は鈴? もしかして、隠れてさっきの僕たちの様子を見ていたのだろうか?
声のした方の茂みに近寄り草木を掻き分けてみると、案の定ドルジに乗りかかられて潰されそうになっている葉っぱまみれの鈴が潜んでいたのだった。

「鈴、何やってるの?」
「わわっ!」
鈴は僕に見つかると驚いて逃げ出そうともがきだしたが、ドルジのせいで身動きが取れなくなっている。
ドルジをよけてあげると鈴はようやく茂みから出てきたが、今度はむくれた顔になり僕を睨みつけて威嚇してきたのだった。
「ううう……」

「鈴、もしかして隠れて覗いてたの?」
「ち、違う! たまたまドルジがここにいたから見にきただけだ!」
鈴は必死に否定してるけど、やっぱり僕を追ってきてこっそり覗いていたんだろうな。
恭介だったらこの場は悪趣味な行動をしたことを叱る場面かもしれないけれど、僕は鈴のやきもちが可愛らしくてついつい顔がほころんでしまう。
「にやにやするな! 理樹、お前、そんなにラブレターもらったのが嬉しいのか!」
ここからは僕たちの声までは聞こえなかったらしく、やっぱり鈴もさっきの様子を僕と同じように誤解しているみたいだ。
大丈夫だよ、鈴。鈴が心配するようなことなんて最初から無かったんだから。
「あの子はね、謙吾にラブレターを渡して欲しいって僕に頼みにきたんだよ」
「な、なにぃ? 謙吾だと?」
謙吾、という言葉を聞いた途端に鈴はほっとしたかのように表情を緩める。
「心配させてごめんね、鈴。次からはこんなことがあればちゃんと言うようにするから」
「べ、別に心配なんてしてないぞ、あたしはたまたまドルジがいたからここに来ただけだからな!」
おや、今日の鈴は素直じゃないなあ。
そんな言い方をされるとちょっと僕も悔しいし、仕返しに少しだけ鈴をいじめてみたくなってしまう。
「鈴、本当に気にしてないの? もし謙吾じゃなくて、僕が告白されてたとしても?」
「うう、それは……」
「全然心配されないなんてショックだなあ、鈴は僕のこと何とも思ってなかったのかなあ」
芝居がかった言い回しで大げさに気落ちした様子を示してみせると、すぐさま鈴が食いついてくる。
「そんなことない!」
あっさりと鈴の強がりが陥落。鈴はいつも僕のこういう言い方に弱い。
「……ほんとは理樹が知らないやつに告白されてると思ってなんかいやだった」
「そうだよね、僕も鈴に黙って行っちゃったのが悪かったんだよね」
ちょっと言いすぎてしまったかな。しゅんとした鈴を見てると、悪いことをしてしまったと反省する。

「でも、相手が謙吾だって聞いてほっとした」
「もし謙吾じゃなくて僕が告白されてたとしても、断っていたけどね」
「本当か……?」
不安そうな目で僕を見つめてくる鈴。もしかして、僕が告白されていたらあっさりと他の女の子に乗り換えてしまうんじゃないかと思っているのだろうか?
そんなこと、あるはずがないじゃないか。僕はいつだって、鈴のことしか見ていないというのに。
「大丈夫だよ、鈴。今までも、これからも、僕が好きな女の子は鈴だけだから」
そう、子供っぽいわりに大人ぶろうとして強がったり知ったかぶりしたりするところも含めて、僕は鈴のことが一番好きなんだ。
「……ほんとにそう思ってるなら、行動で示せ」
「しょうがないなあ……」
鈴の気持ちを落ち着かせるために、その小さな身体をそっと抱きしめる。
「……それだけじゃまったくぜんぜんとことん足りてない」
「分かってるよ、鈴」
抱きしめる腕により力を込める。それとともに鈴の身体からだんだん力が抜けていき、僕に身を任せてくるようになる。
「これで、おわり……?」
「違うよ……」
注文の多い鈴の唇を、そっと僕の唇で塞ぐ。
心地よさそうに目を閉じた鈴を抱きしめながら、僕らはその場で口付けを続けていたのだった。


「おや、鈴、今日はなんだかご機嫌じゃないか」
顔を合わせるなり、いきなり恭介が鈴の尋常でない浮かれっぷりを指摘する。
まあ、鼻歌まで歌ってこんなに楽しそうにしてる鈴の様子を見てれば誰だってそう思うだろう。
さっきの僕の言葉がよっぽど嬉しかったのだろうか。こんな分かりやすい反応をされると、僕としては嬉しさ半分、恥ずかしさ半分といったところで面映い。
「なあ理樹、鈴と何かいいことあったんだろ? このこの、憎いねえっ」
僕の反応を目ざとく察知した恭介が、ここぞとばかりに僕をからかってくる。もちろん否定できるわけもないし、僕はただ曖昧に笑みを浮かべて黙っているだけだ。
「おっ、否定しないってことは認めたな? よし理樹、お義兄さんに余さずとことん仔細を吐いてもらおうか」
「いやいや、これは僕と鈴の二人だけの秘密だから……」
鈴と付き合いだしてから、何度も繰り返されたこんなやり取り。最初は恥ずかしかった恭介の冷やかしも、今ではこんなじゃれ合いができるくらいに慣れてきた。

「理樹、ちょっといいか?」
すると、横から僕を呼び止める謙吾。真剣な顔をして、何かあったのだろうか。
「あれ、何か用事?」
「ああ、ちょっとな。二人で話がしたい、廊下に出よう」
鈴や恭介には聞かれたくない話なんだろうか。恭介を見ると、行ってやれ、という目線を送ってきた。
「理樹、昼間のあの女子はやっぱり告白だったのか?」
「謙吾、もしかして見てたの?」
「ああ、廊下でお前が話しかけられたところをな……」
そっか、見られていたのか。どうやら謙吾も僕が告白されたかもしれないと勘違いしているようで、ちゃんと断れたかどうかを心配しているらしい。
心配してくれたのは嬉しいけれど、残念だったね、謙吾。ラブレターを渡された相手は僕じゃなく、謙吾だったのだから。
「そんなんじゃないよ、あの子はね、謙吾にラブレターを渡してくれって僕に頼みに来てたんだ」
謙吾の方から聞きに来てくれるのはちょうどいい。はい、と先ほど託されたラブレターを謙吾に手渡す。
「なにっ、俺なのか!?」
「よかったじゃない謙吾、純真そうないい子だったよ」
嫌みではなく、本心からそう思う。謙吾にはああいう大人しめの子が似合っていると思うから。
「そんなに気軽に言うな、これでも毎回断りの返事を書くのが大変なんだぞ」
「やっぱり、また断るの?」
「ああ、今は誰とも付き合うつもりはないからな……」
そう言い残して、気が重いとばかりに頭を抱えて自分の部屋に戻っていく。
生真面目な謙吾のことだ、きっと今から手紙を読んでちゃんと断りの返事を書くのだろう。

「おい理樹、なにやってるんだ、さっさと戻ってこい!」
「あっ、ごめん鈴、すぐ戻るよ」
鈴に急かされ、二人で手をつないで恭介が待つ部屋に戻る。
謙吾にとっては厄介ごとなのだろうけれど、この一件のおかげでより鈴との絆が深まっていったのもまた事実。
部屋に戻ればまた恭介に冷やかされるだろう。でも、今日みたいな日は、そんな冷やかしもまた心地よく受け入れられるんだろうなという気がしていたのだった。


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