「なあ理樹、『ふぇらちお』って何だ?」

ブホッ……
食事中にいきなりなんて事を言うんだろう、鈴は。
思わず食べていた途中の味噌汁を盛大に吹き出してしまった。
「おわっ、理樹、汚ねえなあ!」
見れば真人のご飯の上に具や汁がが飛び散っている。
「あっ、ごめん、真人……」
布巾を持ってきて、汚したテーブルを拭こうとしたら、
「まあ、でも理樹のだからいっか! いただきます!」
食べるんだ……何だか微妙に気色悪い。今の言葉は聞かなかったことにしよう。

「どうして吹き出すんだ? 『ふぇらちお』っていったい何なんだ?」
どうやら鈴は本気で言葉の意味を知らないらしい。
鈴にこの言葉を吹き込んだ犯人……はなんとなく想像が付く。
「その前に鈴、そんな言葉誰から聞いたのさ? あとその言葉はもう言わないように」
「はるかとみおとくるがやが話していた。あたしだけ話に入れなかった……」
「ああ、やっぱり……」
「それで、はるかに慰められた……」
前にも似たような話をしていた気がする。
傍目で見ていれば面白そうな光景が頭に浮かんだのだが、そのとばっちりがこちらに向けられてはたまらない。
無邪気な子供に性についての質問をされた世間一般の親もこんな心境なんだろうか。

恭介に助けを請おうと視線を向けるも、
「鈴は理樹に聞いてるんだろう? だったらちゃんと理樹が答えてやるんだ」
と、この件に関わりたくないとばかりに素っ気無い態度。

こうなったら最後の頼みの綱、謙吾に鈴の相手をしてもらおうとするが、
「どうした、理樹? お前も分からないのか? だったら俺が説明しよう、フェラチオとは別名口淫とも言って……」
「こーいん……?」
「わわっ、謙吾もこんな人がいる場所で真面目な顔して説明しなくていいから!」
聞いてる側が恥ずかしい。こっちはこっちで別の意味で頼りにならないのだ。
真人にはこういった話は任せられないし、仕方ない、僕がやるしかないのだろう。
結局放課後にこの件についてちゃんと教える約束をして、ようやく鈴を納得させることが出来たのだった。


放課後になると、待ちかねたかのように鈴が僕の前にやってくる。
「ああ、朝言ったことだよね、分かってるよ……」
分かってはいるけど、やはり気が重いなあ。
人が多いところで話せるような話題でもないし、二人で屋上に行ってそこで話すことにしたところ、
「ふんふふ〜ん〜」
メルヘンな鼻歌を唄いながら、窓から出てくる小毬さん。
「やっぱりここにいたんだ。りんちゃん、理樹くん、一緒にグラウンド行こうよ〜」
そっか、今日はリトルバスターズで野球の練習の日だったっけ。
「今は鈴と話があるから、後から行くことにするよ」
「こまりちゃん、先に行っててくれるか? 理樹に『ふぇらちお』を教えてもらうんだ」
「ちょ、ちょっと、鈴!」
言葉の意味が分かっていないくせに、何でそんな本来の意味が通ってしまうような言い方をするんだろう。
小毬さんは最初、何を言っているのか分からなかったような顔をしていたが、そのうち目を点にして真っ赤な顔であたふたと一人で恥ずかしがり、
「ごごごごご、ごめんなさい、私ったら、恋人たちの時間を邪魔しちゃって、ああああ〜」
ああ、これは完全に誤解して舞い上がってしまっている。
「ま、待って、小毬さん、誤解だから、ちょっと話を聞いてよ」
とにかく小毬さんの誤解を解くべく先ほどの鈴が言った意味を説明しようとしたけれど、
「ひゃあ、わわ、私、絶対に誰にも言いませんから〜」
と、全く話も耳に入っていないようで叫びながら走り去り、窓から転げ落ちていってしまった。

「理樹、こまりちゃんがアホの子になった!」
いやいや、今のは鈴のほうがアホの子だったと思う……
まあ、聞かれたのが小毬さんで不幸中の幸いだったかもしれない。
小毬さんは周囲に面白おかしく言いふらしたりする人ではないし、ちゃんと後で誤解を解いておけば大丈夫だろう。……多分。
「はぁ……」
「どうした? ため息なんかついて、何か嫌なことでもあったのか?」
「僕は鈴のそういう純粋さが羨ましいよ……」
どうやら僕がこれからやろうとしていることは前途多難なのかもしれない。

「理樹、その『ふぇらちお』とは何だ? そんなに説明が難しいのか?」
難しい、といえば確かに難しい。
もちろんその行為自体を説明するのは簡単だけど、それを教えていい相手なのかどうかの判断が難しいのだ……と思う。
「その前に鈴、赤ちゃんの作り方は知ってるよね……?」
ちりん、と頷いてみせる鈴。でもなんとなく不安なので、一応念押しをしておく。
「言っとくけど、コウノトリが運んでくるってのは無しだよ。ちゃんとした作り方だからね」
「当たり前じゃ、知っとるわぼけーっ!!」
あ、鈴の顔が赤くなった。
赤くなってるってことは、鈴なりにちゃんと理解してるってことか。
「じゃあ話は早いや。いいかい鈴、さっき鈴が言った言葉の意味は……」


「………」
僕の説明を聞いて、茹で上がったようになってしまった鈴。
もちろんそんな説明をしている僕も同じくらい恥ずかしいわけで、向かい合ってお互い赤い顔をして座っている。
「あたしはそんな恥ずかしいことを聞いてたのか……」
「まあ、知らなかったんだからしょうがないよ」
「じゃあ、さっきこまりちゃんがアホの子になったのは……」
あ、今になってやっと事態の重大さが分かったみたいだ。
「ばかっ、理樹、おまえのせいでこまりちゃんに誤解されたぞっ!」
今頃になってさっきの小毬さんの反応を理解する鈴。
「いやいやいや、それは鈴のせいだから」
「ううう……」
恥ずかしさのせいだろうか、蹲って呻き声を上げる鈴。
「とにかく、後で誤解を解けば大丈夫だよ」
「あたしはアホの子だ……」
そうして落ち込んでしまった鈴を、僕はひたすら慰め続けていたのだった。

「でも、なんでそんなことをするんだ?」
ようやく気力を取り戻した鈴が、また唐突な質問を繰り出してくる。
そんなこと……というと、さっきのフェラチオの件のことかな?
「汚いし、恥ずかしいし、なんでそんなことをする女がいるのか分からん」
「いやいや、そんな分からないと胸を張って言われても……」
「じゃあ理樹、おまえ説明してみろ、そんなことして楽しいのか、恥ずかしくないのか、どうなんだ、答えろっ!!」
なんだか鈴が聞き分けの無い駄々っ子モードに入ってしまった。
「そんなことしたって子供出来ないんだし、やる意味があるのかっ!!」
先ほど恥ずかしい思いをしたことの照れ隠しだろうか、逆に僕を質問攻めにしてくる。
「いやいやいや、そんなことを言われても……」
今思いつく理由としては、男の側が気持ちいいから、ということくらいしかないけれど、そんな答えでは鈴は納得しないだろう。
そもそも僕は女性じゃないし、やったこともやられたこともないので、楽しいのかも恥ずかしくないのかも理解することが出来ないのだし。
何を言っていいのか分からず、答えに詰まっていると、
「ほらみろ、理樹だって説明できないじゃないかっ!」
「ごめん、僕もそんな経験が無いから答えられないよ……」
つまりのところ、鈴ほどではないけど僕もうぶなことに変わりはないのだった。




夜になって、いつものように男メンバーが僕たちの部屋に集まる。
「どうだ理樹、ちゃんと鈴に説明してやれたか?」
「まあ、言葉の意味だけはちゃんと説明したけどね……」
言葉の意味する行為は理解させたものの、鈴があの説明で納得できなかったのもまた事実。
そのことも含めて恭介たちに事の顛末を話すと、
「そっか、理樹もうぶな奴だな」
「さすがに真人には言われたくないよ……」
そういう真人だって、今まで女の子との浮いた話なんか無かったじゃないか。
「うーむ、そこまで鈴がこの手の知識に疎かったとはな」
複雑な顔をして考え込む謙吾。
でも、考えてみれば今まで同世代の女の子と全く付き合いの無かった鈴が知らないのも無理はない。
今年になってようやく女の子としての自覚を持ったようなものだし、今までそういった話題に全く縁が無かった鈴はまだまだ無知なままなんだろう。
「やっぱり僕には荷が重いよ、恭介が代わりに教えてあげてくれないかな……?」
「駄目」
すげなく却下されてしまった。
「いいか理樹、お前たちが付き合う前だったら俺が教えてやってもよかったんだ。でもな、今はお前の恋人だろ? そういうことを教えてやるのは理樹の役割だってことさ」
それはまあ、そうかも知れないけど……
「それに熊野の神社の娘だってこう言ってるぜ、『分からないことは旦那様に教えてもらう』ってな。こういうことは夫婦が一緒になって覚えていくものなんだよ」
聞いたことの無い言葉だけど、また恭介はどこかの漫画に影響されたんだろうか。
どうせいつものように、よく分からないまま僕は恭介に丸め込まれてしまうんだろう。

「でも、やっぱり自信が無いよ……結局さっきはほとんど答えられなかったんだし」
「仕方ねぇなあ。ほらよ、これ見て勉強しとけ」
そう言うと恭介は持ってきた鞄から何冊か雑誌を取り出して、僕に渡してくる。
「こ、これは……」
そう、いわゆるエロ本、というやつだ。
「ちょ、ちょっと、恭介、この本一体どうしたのさ?」
「ああ、買ったんだよ。俺はもう買っていい年齢だからな」
いやいや、そんなこと無いよ、恭介。高校生は18歳を過ぎていても駄目だから。
「ふむ、これは興味深い。俺も後学のために一冊貸して貰っていいか?」
横からニュッと手が伸びて、謙吾が取り出したのは『巫女さん天国』なる本。
「おい、何だよ今の堂々とした態度、漢じゃねえか……よし、それは謙吾にくれてやるよ」
「僕もそう思うよ。自分の性癖を隠しもせず、ごく自然に巫女さんを手に取ったんだから……」
ふっ、と勝ち誇ったように戦利品を小脇に抱えている。
「くそっ、謙吾だけ漢扱いさせてたまるかっ、俺はこれを貰うぜっ!」
そんな謙吾に張り合って真人が選び取ったのは……『メイドさんと一緒』なる本。
「ほう、やはり真人はメイド好きだったのか……」
「メイド好き筋肉」
「だああああっ! ちげえよっ! たまたまだっつの!」
変なものを選んでしまったせいで、頭を抱えて叫ぶ真人。
「大丈夫だよ、たとえ真人がメイド好きでも……真人は僕の大切な友達だよ」
「理樹、お前も俺を信じてくれないのかあああっ!」
そんなこんなで、結局鈴の問題については何も進展しないまま夜は更けていったのだった。



―――翌日。
はてさて、鈴に対して一体どうやって年相応の女の子の知識を教えるべきなのか。
恭介から貰ったエロ本はまだ見ていないし、鈴に対してこれを使うのはさすがにまずいだろう。
やっぱりこういう話は小毬さんあたりに頼むのが一番だと思うけれど、自分から女の子にそういう依頼をするのも何だか気恥ずかしくて気持ちの踏ん切りが付かないのだ。
「理樹、先週頼んだモンペチは買ってあるか?」
「わわっ!」
鈴のことを考えていた最中に、その張本人からいきなり声をかけられたせいで驚いてしまった。
「何だ、失礼な奴だな」
「ごめん鈴、ちょっと他のことを考えていたから……」
僕が素直に謝罪しても、ちょっぴり頬を膨らませてむくれている鈴。
こういう子供っぽい仕草のひとつひとつが可愛いのだけど、それを言うと怒られそうなので胸にとどめておく。
「モンペチだったら買ってきて僕の部屋に置いてあるよ。今は日誌書いてる途中だから、悪いけど勝手に取ってきてくれないかな?」
ちりん、と頷いて立ち去る鈴。でも、何か忘れているような……?

廊下の方からメイド好き、巫女好きといった言い合いの声が聞こえてくる。
ああ、真人と謙吾が昨日のことでまた喧嘩してるのか……と思い出したところで、とんでもないことに思い当たってしまう。

昨日のあの本、真人が部屋に出しっぱなしにしてるかもしれないじゃないか!

風紀委員の人に廊下を走るな、と注意されながら大急ぎで寮に戻るも、部屋の前まで来たところで中からぞっとするような殺気を感じて尻込みする。
ああ、もはや手遅れなのかな。
でも逃げてばかりはいられない、恐る恐る中に入ってみると……『巨乳っ娘倶楽部』という本を手にとって怒りに震えている鈴の姿。
「理樹、これは何だっ!」
滅多に泣かない鈴にしては珍しく、涙目になって感情をあらわに僕に詰めかかってくる。
「ま、待ってよ、それは恭介が……」
「黙れっ!」
駄目だ。鈴は興奮した猫のように半錯乱状態になって、僕の言うことも全く耳に入らないらしい。
「きょにゅーって何だ、あたしへのあてつけかっ、お前もくるがやみたいな胸がいいのかっ!!」
「いたたたた、やめて、鈴、引っかかないで!」
「理樹なんて嫌いだっ!!」
その後も鈴は何度も僕を引っかいた末に、最後にはこんなもの全部捨ててやると言って、本を全部持ちだして走り去っていってしまった。

「ただいま、っておい理樹、どうしたんだよっ、その顔、猫にでも引っかかれたのか?」
確かに、ある意味猫に引っかかれたようなものかもしれないね。
「ははは……昨日の本のことが鈴にばれちゃったよ」
「な、何いいいっ! つーことは、俺がメイド好きだと鈴に誤解されちまう……!」
またもや頭を抱えて蹲る真人。

結局、恭介も呼んであの本が恭介の買ってきたものだと説明した上に、僕がまだ読んでいないということを説明し、何度も謝ってなだめたことでようやく鈴は機嫌を直してくれたのだった。
もちろん、今後僕が一切そういった本を読まないようにする、という誓約を書かされた上でだけど。



―――さらに翌日。
「恭介、お前は近づくな」
「…………」
朝から鈴と恭介の間に流れる気まずい空気。
「なあ、鈴……」
「話しかけるな変態」
まったく取り付く島も無い。

「理樹、しょうゆを取……」
「理樹にも近づくな、変態がうつる」
その上、どうやら鈴は恭介の変態さから僕を守るという変な使命に燃えているらしく、監視のためと称して僕にべったりと張り付き片時も傍から離れようとしないのだ。
「鈴、そんなに意地張ってないで恭介のこと許してあげようよ……」
「理樹、お前は恭介を庇うのか? お前にきょにゅーを押し付けてあたしたちの仲を裂こうとしたんだぞ?」
そっか、鈴にとって一番気になったのはそこだったんだね。息巻くその様子がなんだか微笑ましい。
おぼろげながら、あんなに鈴が怒った乙女心がほんのちょっと理解できたような気がする。
「……貧乳コンプレックス」
「うっさい、ぼけーーーっ!」
恭介の呟きも聞き逃さず、容赦なくハイキックが炸裂する。
どうやらこの兄妹の仲直りは、もう少し先になりそうだ。



「理樹くん、その、りんちゃんとそういうことする時はちゃんと言ってくださいね? 私、その時間は屋上に行かないようにするから……」
そして、小毬さんにいくら説明しても、全然誤解が解けてくれなかったのはまた別の話。


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